#128【気難しい老人皇帝ハドリアヌス】ローマ人の物語26 賢帝の世紀 下 塩野七生 新潮文庫


ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)
新潮社
塩野 七生

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皇帝ハドリアヌスの統治後期。

この時期の大きなこととしては、ユダヤ反乱がある。
本国ユダヤ、すなわちイェルサレムにて彼らの国家建設を目指す過激派が、反ローマに立つ。
ローマ軍が鎮圧し、ハドリアヌスはユダヤ教徒のイェルサレム居住を禁じた。
いわゆる、離散(ディアスポラ)である。

晩年、ハドリアヌスは気難しい老人となる。
厳格で気難しく、私的な喜びのためには出費を惜しまないのに一方ではケチ、不誠実で冷酷で容赦しない、となった。

そうなった理由は、老齢と、やるべき仕事はすべて終えた、と思った人を襲う精神の張りの緩みから来ていると言われる。

余談だが、私は先日、フルマラソンを走った。
前半はよかったが、オーバーペースで後半は体が動かなかった。
その後の日常生活でも、筋肉痛で支障をきたした。
これが老齢で体が動かないハドリアヌスの気持ちだろうと、勝手に実感。

62歳でハドリアヌスは死亡した。
元老院は、カリグラ、ネロ、ドミティアヌスについで、ハドリアヌスも神格化をしないとと主張したが、後継者のアントニヌス・ピウスが懇願して神格化が決まった。

五賢帝の4番目、アントニヌス・ピウスの時代は、
特筆するような事件はなく、帝国全域を平穏な秩序が支配していた。

先帝の業績はほとんどすべて継承しつつも、不都合なことだけは微調整した。

この時代は、まさに幸福な時代だった。


* 目次 *
第二部 皇帝ハドリアヌス(承前)
  (在位 紀元117年ー138年)
  ヴィラ・アドリーナ
  再び「旅」に
  ローマ軍団
  エジプト
  美少年
  ユダヤ反乱
  「デイアスポラ」
  ローマ人とユダヤ人
  余生
  後継者問題
  死

第三部 皇帝アントニヌス・ピウス
  (在位 紀元138年ー161年) 
   幸福な時代
  人格者
  マルクス・アウレリウス
  「国家の父」


<グッときたところ>
①マキアヴェッリによるリーダーの三条件。
「力量、好運、時代への適合性」

→力量があって、運がよくても、時代の要請に応えうる才能がなければならない。
時勢に乗る、ということか。


②後の哲人皇帝マルクス・アウレリウスが家庭教師に死なれて泣いている時に、父のアントニヌス・ピウスが言った言葉。
「感情を抑制するのに、賢者の哲学も皇帝の権力も役に立たないときがある。
そのようなときには、男であることを思い起こして耐えるしかない」

→私も将来、息子にこう言おうと思う。


③マルクス・アウレリウスがアントニヌス・ピウスから学んだこと。
「決断を下す際の、慎重、穏健、それでいて確固とした持続性。
社会的名声への軽蔑。
仕事への愛と忍耐。
公益に利するならば、いかなる提言ていげんにも耳を傾ける態度。
各人の業績に報いる際に示した、公正な評価。
厳しく対したほうがよいか、それとも寛容な態度で臨むべきかを見事により分けた、経験を踏まえての人間性への洞察力」

→超人的である。


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